沿革

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日本臨床腎移植学会 -設立の経緯-

 本会は昭和43年(1968年)に東京大学第2外科で腎移植を行なっていた太田和夫が、これから献腎移植をさらに発展させていくためには、その臓器を摘出する側と移植する側との間に「俺、お前」で話せる密接な関係が必要であると考え、実務に携わる若い関係者が共通の意識と知識と認識を持って育つ場を作ろうと考え企画したものである。
太田は同教室の木本誠二教授にそのような会を組織して欲しいと願い出たところ、「移植学会の理事会でそのような話を出せば年寄りが出て来て若い人達の意思が生かされなくなるだろう。今度の学会(第4回日本移植学会)で私(木本)が最終のセッションの司会をすることになっているので、その発表が終わったところで君を指名するから、この件について発言しなさい。そして、これから作りたいというのではなくて、もう既に作っていると言いなさい」と知恵を授けて下さった。
それを現実のものとするために太田は直ちに、当時、西のリーダーであった大阪大学泌尿器科の園田孝夫教授を尋ね、賛同を得、帰路京都によって京都府立医科大学外科の四方統男講師からも承諾を得た。さらに千葉大学で移植を推進していた岩崎洋治講師にも了承を得た。
 第4回の日本移植学会は昭和43年11月23日、24日の両日にわたり東京大学医科学研究所 石橋幸雄教授を会長として慈恵会医科大学で開催された。当日の昼休みに私たち4名は近くの店で昼食を摂りながら今回の行動について確認した。いろいろな問題が討議された後、いよいよ最後のパネルが終わったところで、突然京都府立医大の河村謙二教授が別紙の発言をされ、私も発言を許された。これは両教授の計らいに間違いないだろう。川村教授とは木本教授と力を合わせて日本移植学会の設立に努力された方だ。
 さて、腎移植臨床検討会と名付けられた本会は、1969年1月17日に京都医師会の会議室を借用して第1回目の研究会がスタートした。参加者は45名ほどであった。この会では寒さを吹き飛ばす熱い議論が戦わされ、大いに盛り上がった。これが今日のわが国における腎移植の開発、普及に大きく貢献する礎になった。
 この会は回を重ねるごとに参加者ならびに、演題数が増え続け、設立されてから、すでに40回を数えた。この間、検討会から研究会へ、さらに学会へと発展し、それに伴い名称も改め、通常毎年1月ないしは2月に行なわれている。今や参加者数は約1,000名にも達しその内訳は医師のみならず移植コディネータ、看護師や、臨床工学技士など多くの職種にわたっており、それぞれの立場から参加し臓器移植の推進に貢献している。

文責 東京女子医科大学 名誉教授 太田和夫

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